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第29話 買いで凱歌株式市場では朝鮮動乱ブームが去ったあと、昭和二十八年後半から二十九年にかけて、再びデフレ風が吹きまくることになった。株価は低迷し、出来高も大幅に減ってしまった。 とくに、軍需景気で買いあおられた金ヘン株、機械、鉄鋼、非鉄金属、そして造船株などは 人気の反動で文字通りペシャンコに叩かれた。その代表ともいえるアーム(日本製鋼所)は 二十八年の二月に三百十円の高値をつけ、一年でざっと三倍以上の値上がりをみせたものが、 わずか三ヶ月後には百円を割ってしまう有様だった。 これだけみても、当時株価がいかに荒っぽい動きをしたかよく分かる。 そして、あとはすっきりしない相場がだらだらとつづいていた。 出来高が一日五百万株をこえると拍手がわくという活気薄の状態だった。 そんな中で、私は造船株を買いはじめた。いかにも、株価が安すぎたからである。 無配の浦賀船渠(ドック)や日立造船がただの三十円前後、 一割二分から一割六分の配当をしていた石川島、三菱造船、三井造船でさえ 六十円がらみのところで低迷していた。いくらなんでもひどい。叩き売りもいいところである。 これでは会社の財務内容からみても安すぎると思った。 たまたま、娘の嫁ぎ先きが、造船会社に関係していたので、ちょっと様子を聞いてみた。 すると、来年になれば業績も回復するだろうという。例の輸出船ブームのはしりで、 世界各国から注文がどんどん入ってきていたのである。 早速、当時調査を担当していた社員に調べさせるとまさしくそのとおりだった。 日本は四面海に囲まれた海運国である。造船は絶対になくてはならぬ事業だ。歴史をふり返っても、 優秀な技術をもっていることはハッキリしている。 輸出がききはじめた。なのに、株価は投げ売りに近い相場である。 自信をもって拾えるだけ拾った。指し値をあげずに、辛抱づよく買いつづけた。 社員の中には、こんなボロ株を大量に買いこんで、一体どうする気なんだろうと思ったものさえいたようだ。 何しろ株券が金庫のスミに山づみの状態だったのである。 だが、結果は見事に的中した。一年後、三十年には軒並み百円台を突破することになった。 倍以上の値上がりをみせたのである。 この時には、社員にも株を買うことを大いにすすめた。ボーナスをふやしてから使うように指導したのである。 ちょうど、戦後はじめて訪れた金融相場がスタートを切って、金融機関も株を買いはじめていたからである。 相場を張るのではなく、堅実投資である。私が造船株でもうけたのも、借金して買った分もあったが、 あくまで投資であった。 実はこの頃を境に、私自身大きな相場を張ることもなくなった。とくに、売りの山種と呼ばれた 得意の大量カラ売りはやらなかった。大体、カラ売りの本来の狙いである保険つなぎを 大きくしなければならないような浮沈の激しい経済ではなくなったためでもある。 昭和三十年は「もはや戦後ではない」と呼ばれた年であった。 そして、このあと神武景気を背景にした大型上昇相場が展開したのである。 次へ |
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