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あるけみ掲示板

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第35話 ムダ嫌い

 私が、テレビドラマの主人公になった。たしか、昭和四十二年の四月のことだった。
その題名はなんと「偉大なるけちんぼ」であった。これには恐れいった。たしかに、”ケチ種”とも呼ばれた私である。
けちんぼでもよいが、”偉大なる”とつけられたので、どんなものが出来上がるのか気になり、
わざわざNHKの代々木の放送センターにリハーサルを見せてもらいに行った。
はじめてみるテレビドラマのリハーサルの情景だった。主人公である私、捨吉を演ずるのは青島幸男さん、
いや、青島先生、主人山繁さんにあたる山岡繁造は花柳喜章さん、実話にはないが、
ドラマの上で私を拾いあげてくれたケチな金持、吉田善之助に柳永二郎さん、その娘、のちに捨吉が結婚する相手、
百合が野川由美子さん、という配役だった。群馬県坂口の実家での生活、少年時代ちょうど、
東京へ出ようと決心するところがその夜のシーンであった。

  スタジオには深川、回米問屋の店先、そして、各地産米の品評会などの舞台が出来ていた。
それをみて回っているうちに、いつか昔を想い出していた。
小僧時代には一にも、二にも節約で押し通した。借金を背負っていたので、やむをえなかったのだが、
仲間うちでは、いつしかケチ呼ばわりされていた。支配人になり、さらに自分で店をかまえるようになっても、
節約第一の考えを貫いた。店員の間では、何もそんなにまでしなくてもいいじゃないかと、思われていたのは、
自分でも、よく知っていたのである。
しかし、決して世間からつまはじきされるような、いわゆるリンショクとはちがうと思っていたし、
今もなお、確信しているからそのままで通している。
「金は使い方が一番大事というケチ哲学」を表現しようというのが、演出家の狙いだと聞き、
ケチンボがいわゆるリンショクとはちがうと分かってほっとした。

  私が奉公した山繁商店では天引預金をやっていた。そう多くもない給料の中から天引きされるので、
みんなぶうぶう言っていた。ボーナスもただの紙切れだった。一、賞与 千円也、山崎繁次郎 印であった。
自分のふところには一銭も入ってこない。何かお祝いとか、病気になったとか、特別な理由がないかぎり
出してもらえないのである。いわば強制貯蓄だった。苦しいのは苦しい。
しかし、そのおかげで、小僧にしてはとても出来そうもないようなお金がいつの間にか出来ていった。

結婚した時、そして独立の時には非常に役立った。そこで、私も店のものには天引預金をやらせたのである。
よく、私に金儲けの秘訣を聞きたいという人がある。
そういう時には「あなたの職業は何ですか。サラリーマンでしたらとにかく、使わないことですよ」と答える。
すると、「何だ、そんなことか。言われなくたってわかっているよ」という顔をされる。
サラリーマンにとってそれ以外にないのである。まことに平凡だが、いくら考えたって、
無から有を生ずるようなうまい話はない。

  だが、店のもの達やそばにいる人の眼にはケチなやつという面が強くうつったにちがいない。
そう、米から株式に進出した時だった。帳簿類を買わず、とりあえず市販のノートですませた。
一つには、このままうまくゆくか、もうかってゆくのかはっきりしないのに、はじめから立派なかまえを整え、
大きな費用をかけるのは危険だと考えたためであった。
ある時、大学出の社員がこんなことを言った。「階段を上がるとき、足元が暗いのでスイッチを入れながら昇った。
すると、下の方から消しながら上がってくる奴がいる。誰かと思って、立ち止まり、
見ていたら社長のシラガ頭がみえてきた」と言ったことがある。たしかにケチが身についているのかも知れない。

  昭和のはじめ、千葉の飯岡に別荘を買った頃のこと、出かける時はいつも背中に一袋背負っていった。
中身はお米である。回米問屋では見本にとるサシ米だけでも、自分の家の分はもちろんのこと、
店のもの全部が腹一杯食べても余るぐらいだった。その米を利用したのである。
私はムダが嫌いだったにすぎぬ。一人がムダをするのは小さいが、十人、二十人集まると大きくなる。
ある大企業では四月頃になるとノートや鉛筆が大量に使われる。その会社は七万人、
一人百円ムダにすれば七百万円という大金が飛んでしまうわけだ。
たかがノート一冊ぐらいという気のゆるみがこわい。自分の世帯を例にとっても、
だまっていれば費用はどんどんふくらむ。気をつけていてさえもふくらむものはふくらむ。
上が上なら、下も下、となりがちだ。それで私はつねに気を引きしめていたのである。

  そう、昭和三十年頃だった。漫画家の近藤日出造さんと対談した時のことである。たまたま、タバコの話が出た。
私は「先生。ひとつ、六年間ほど禁煙して、その代金を貯金してみませんか」と言った。というのは、
日頃こんな計算をしていたからである。一日にピース一箱吸うとして、一年間の代金は
一万四千六百円(当時一箱四十円)になる。これを年一割はもうかるとして株式で運用したとすれば
六年目の終わりになると元金は実に十一万千六百四十九円になっている。
つまり、七年目には、禁煙をといても利息でプカプカ吸える勘定だ。しかも、元金は減らない。
「どういうわけですか」と近藤さんが聞くので「これこれの計算で、ただでタバコが吸えますよ」と説明した。
すると、先生は「なるほど。でも、私はそんなにまでして、タダで吸おうとは思いませんよ」と逆襲された。

私はタバコは嫌いである。だから、利息でタバコを吸うという計算が出来た。
人間である以上、おいしいものを食べたい、きれいなもので飾りたいのは当然だし、
そういう時にはソロバン抜きであるのが、本当だろう。
ただ、私はお金を貯めるには、それだけの努力、忍耐が必要で、楽をしていたのでは貯められないし、
お金をもつことによってえられる利益をうけられないということを言いたかった。

  山種証券の社是五訓には、蓄積精神の昂揚につとめ、人格の完成をはかる、という一節がある。
社員の中には、ただ守銭奴みたいに金さえためれば、人格者になれるのか、などとまぜかえす者もいる。
それは、誤解である。貯めた金額の問題ではない。着実に、一歩一歩積み上げていく、その意志の強さ、
その結果、出来上がる貯金、そこには人並みならぬ努力が必要だ。自分でやってみて、
いかにきついかが身にしみている。それだけに、大いに評価したいのである。
上げ下げの激しい、一日のうちにがらりと変わってしまう相場の世界、そういう世界の人間にとって、
一般社会から、とくに銀行筋に信用をうるのは簡単でなかった。
そこであみ出したいわば生活の知恵みたいなものが蓄積だった。これだけは何としても、
自分の身の回りにいるものにわかってもらいたい、それ以外になにもない。この私がよい見本であり、
ケチ種でも一向にさしつかえなしである。
テレビドラマからはじまって、大分横道にそれてしまったが、以上がケチ種の由来である

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